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仙代千歳のブログです

双子のバナナ

魚座新月の13日に、スーパーで買ったバナナに双子がいました。


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おつとめ品で買ったバナナ。
特に何も考えずに手に取ったバナナです。
翌日、袋を開けて一本食べてから気がつきました。


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魚座新月、こんな日にチョー珍しい物に遭遇しました。見るからにデカイ。


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上を見たら一本、下を見たら二本。
たぶん得したと思う。
袋につめた出荷元(または生産者)は、一本として分けたと思う。


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皮をむいてみると、二本並んで入ってました。

接してるところ5ミリぐらいが平らになってるだけで、ほぼ普通に丸いバナナでした。

息子が一人で食べました。
右、左と交互に食べてました。

双子のバナナ、よくあるもんなんでしょうか?

『テカムセの呪い』をご存じか?

テカムセの呪いとは、20の倍数の年に選ばれたアメリカ合衆国大統領在職中に死去するという災難の事です。

 

呪いの伝説の始まりは、第9代大統領ウィリアム・ハリソンの肺炎による死からです。

呪いの主は、アメリ先住民族・ショーニー族の酋長テカムセ (あるいは予言者であったテカムセの兄弟テンスクワタワ)と言われています。

テカムセは植民地抵抗運動の中心人物で、1811年にティピカヌーの戦いでウィリアム・ハリソンに殺されたのです。

●テカムセの呪い Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%91%AA%E3%81%84

「呪い」の犠牲者 

1840年から1960年までの120年間、西暦で20の倍数の年(XXX0年)に当選した大統領は全員が、大統領在職中に死去した。なお、アメリカ大統領選挙は必ず4の倍数の年に実施される。

1840年 - ウィリアム・H・ハリソン、1841年4月4日に肺炎で死去した。
1860年 - エイブラハム・リンカーン、1865年4月14日に暗殺された。
1880年 - ジェームズ・ガーフィールド1881年7月2日に暗殺された。
1900年 - ウィリアム・マッキンリー、1901年9月14日に暗殺された。
1920年 - ウォレン・ハーディング、1923年8月2日に心臓発作で死去した。
1940年 - フランクリン・ルーズベルト、1945年4月12日に脳溢血で死去した。
1960年 - ジョン・F・ケネディ 、1963年11月22日に暗殺された。
1980年 - ロナルド・レーガン、1981年3月30日に暗殺未遂があったが任期満了した。
2000年 - ジョージ・W・ブッシュ、いくつか事故(後述)があったが任期満了した。

ザカリー・テイラーは20の倍数の年以外に選出され、在職中に死去した唯一の大統領であり、1848年に選出され、果物の食べ過ぎによる消化不良で1850年に死去した。これには毒殺説も存在したが、後年の研究で否定された。

アンドリュー・ジャクソンハリー・S・トルーマンは20の倍数の年以外に選出され、在職中に暗殺未遂に遭った2人の大統領であり、それぞれの大統領選挙勝利は1828年及び1832年と1948年(F・ルーズベルトの死去により1945年に副大統領から昇格)であり、それぞれ1835年と1950年に暗殺未遂にあっている。

セオドア・ルーズベルトは任期満了後に暗殺未遂に遭った唯一の大統領である。

なお、彼らの内、リンカーン、マッキンリー、F・ルーズベルト以外は、20の倍数の年に最初の当選をし、最初の任期中に死去した。 リンカーンは暗殺される前年の1864年に銃撃に遭っておりその際、銃弾が帽子を貫通した。

今年はテカムセの呪いの年です。2020年11月3日に大統領選があるのです。日本では文化の日ですね。誰が大統領になるか、まだ全くわかりませんが、誰であってもとにかく無事を祈ります。

『木枯し紋次郎』と『新十郎捕物帖・快刀乱麻』

木星山羊座入りまで後二カ月なので、山羊座らしく懐かしい昭和時代を振り返りました。

ここで取り上げるのは昭和の時代劇の主題歌です。

私が子供の頃に家族で見た時代劇で、物語はすっかり忘れてますが主題歌は覚えてます。

 

木枯し紋次郎』と『新十郎捕物帖・快刀乱麻』です。(タイトル通り)

 

えっ、これが時代劇の主題歌?

と思う人が多いと思います。

今でもAMラジオでは時々流れますが、テレビやFMラジオでは流れないと思うので、二曲とも聴いた事がない人もいると思います。昭和時代の流行歌なので、ぜひ聴いてみてください。

 

木枯し紋次郎
(こがらし もんじろう)

第1シーズンは毎週の視聴率が30%超え!
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放送:フジテレビ系
第一部 1972年1月1日~5月27日
第二部 1972年11月18日~1973年3月31日

主題歌「誰かが風の中で」
作詞:和田夏十
作曲:小室等
編曲:寺島尚彦
歌:上条恒彦

"だれかが風の中で 木枯し紋次郎" を YouTube で見る
https://youtu.be/HPo5yTbpcKs

 

新十郎捕物帖・快刀乱麻
(しんじゅうろう とりものちょう かいとうらんま)

明治時代中期の東京が舞台。青年探偵・結城新十郎が事件を快刀乱麻!
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制作:朝日放送(ABC)
放送:TBS系
1973年10月4日~1974年3月28日

主題歌「少女ひとり」
作詞:佐々木勉
作曲:都倉俊一
歌:内田喜郎

"内田喜郎『少女ひとり』 1973年" を YouTube で見る
https://youtu.be/WHZ1oOMlwQo

 

『をのこ草子』をどう思う?

をのこ草紙という予言書がある。

●をのこ草紙を紹介しているサイトです。
http://spacepeople-ga.blogspot.com/2009/07/blog-post_1344.html?m=1

 

引用

この「をのこ草紙」は、いまから約280年前、八代将軍徳川吉宗(在位1716−1745)が享保の改革(1723−1745)を実施していた頃に流布したといわれる幻の予言書で、原本は存在しません。

しかし、この写しが神道天行居創立者として有名な友清歓真(1888〜1952)の手に渡り、彼の名著『神道古義地之巻』に引用されて、今に伝わったとされます。

その著書のなかで友清は、昭和5年(1930年)に、ある人物から次のような雑誌の切り抜きを送られたとして、『をのこ草紙』の一部を紹介しています。

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【現代訳】
 今から五世代、250年が過ぎると、世の中の様子も変わり果てるだろう。 

キリスト教圏(西欧)の思想も益々盛んとなり、空を飛ぶ人もでてくる。 

地に潜る人もでてくる。

風雨を動かし雷電を利用する者もいる。

死んだ人を生き返らせる手術も成功する。

その様ではあるが、人の心が次第に悪くなってゆき、恐ろしい世の中となる。

妻は夫に従わず、男は髪を長くして色白の顔でやせ細り、戦争に出かけることなど出来そうにない。

女は髪を短くして顔の色は赤黒く、袖のない衣類を着て淫らな行いに狂い、父母や夫、その子をも面倒をみない者が多い。

すべて西欧の文化をまねして、古くからの風習である「君主に忠実である」こと「親に孝行する」こと「節約の美徳」だけでなく、「仁」や「義」も軽んじられている。

このようにして、さらに(国や民の力が)衰えて行き、最後には大変な大地(の変動)や水害、火の災害や風の災害が起きて、国民の10分の5(半分)が死んでしまう。また、外国の軍隊が攻め込んでくる。

 この時に、神のような偉大な指導者が社会の表に現れて、民衆が悔い改めて彼に従うので、世の中は再び正しい世の中に復帰する。その間、世の人たちが狂い苦しむこと100年間に及ぶ。

 

をのこ草紙の内容は現代社会と一致していて驚異的な予言書という意見と、後世に書かれた偽書という意見がある。

あなたは、どちらの意見に賛成ですか?

私は、これが江戸時代に書かれたというのは有り得ないと思う。時代背景に合わない矛盾があるのだ。

この部分だ。

『妻は夫に従わず、男は髪を長くして色白の顔でやせ細り、戦争に出かけることなど出来そうにない。』

男は髪を長くして』と言うが、江戸時代の男はみんな髪が長かったのだ。わざわざ『男は髪を長くして』と言うのは、これが書かれた頃は、短髪の男が多かったからだと思うのだ。

また『戦争に出かけることなど出来そうにない。』との記述も腑に落ちない。

江戸時代は平和な時代だった。戦国時代のように頻繁に内乱が起こってた頃とは庶民の感覚も違っていただろう。江戸時代に誰が戦争に出かける事を考えたかと思うのである。

また、江戸時代は後に鎖国政策と呼ばれたほど外国との交流が少なかった。江戸時代の日本人はほとんど外国を意識しないで生活していたと思われる。だから、外国に戦争に出かける事も考える人はいなかったのではないか。

をのこ草子に原本はなく、この世に現れたのは昭和5年(1930年)である。おそらく、これが書かれたのは昭和初期で、予言というほど先を見通したものではないと思う。

車折神社・広隆寺・蚕ノ社

昨日5月15日に車折神社広隆寺蚕ノ社に行ってきました。

嵐電四条大宮駅で一日乗車券(大人500円)を買って乗車しました。嵐電は距離に関わらず1回220円なので、3回乗車するなら一日乗車券がお得です。(降りる時だけ乗車券を運転士に見せます。)

 

車折神社(くるまざきじんじゃ)


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車折神社駅で降りたら目の前に神社の入り口が。

境内の芸能神社にはアメノウズメが祀られてます。芸能人が多数参拝してるようです。

昨日は修学旅行生が来てましたが、少人数のグループ二組ぐらいだったので混雑はなかったです。


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境内社の中にミズハノメを祀っている水神社がありました。という事は、車折神社も元々は農耕と関連がある神社だったと思われます。


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車折神社仕様の金満美麗キットカットは息子へのお土産にしました。300円でした。弁財天の絵が書いてあります。弁財天も琵琶奏者なので音楽の神なのです。


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人脈拡大御守りです。銀色のカードタイプで800円でした。

 

嵐電に戻って、四条大宮行に乗りました。太秦広隆寺駅で降ります。

 

広隆寺(こうりゅうじ)


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広隆寺も駅からすぐです。


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門の所に人材募集の貼り紙が。どこも人手不足なんですね。


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境内の様子。広いです。(本堂の中などは撮影禁止です。)


広隆寺から東に歩くと蚕ノ社があります。歩いてる道が右にカーブする所に出たら、左の細い道に入って、ひたすら真っすぐ東に向かいます。初めてだと遠く感じるかも知れませんが、そのうち左側に神社の入口が現れます。


蚕ノ社(かいこのやしろ)

 

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正式な名前は「木嶋坐天照御魂神社(このしまにます あまてるみたまじんじゃ)」です。

通称は「木嶋神社(このしまじんじゃ)」ですが「蚕ノ社」で通用します。


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本殿は修復中でしたが、参拝には全く支障ありませんでした。

最寄駅は蚕ノ社駅です。帰りは蚕ノ社駅から嵐電に乗りました。

 

蚕ノ社

https://www.kyoto-inf.com/2017/06/25/posted-kaikonoyashiro/

祝・令和元年

令和元年の一日目が終わろうとしています。世間はお祝いムードで盛り上がってるみたいですね。

私の平成最後の晩ご飯はカレーライスでした。いつもと何も変わらない食事です。

ところが、カレーライスが少なかった。いいえ、カレーライスの量は充分あったのですが、昼食抜きだったせいで物足りなかったのです。

令和になった瞬間、私はお湯が入った水筒を持って自宅の階段を上ってました。水瓶座のイラストみたいな事してましたね。

その後、カップのきつねうどんを作って食べました。夜食は普段は食べないです。赤いきつねうどんなので、赤い鳥居の稲荷みたいでした。
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違うメーカーのきつねうどんも食べますが、昨夜の夜食はこれでした。

私にとっての令和時代は『水瓶座と稲荷』がテーマになるみたいです。これまでも縁が深かったテーマですが、より意識するようにという事でしょうか。

神様は日常のほんの小さな事でメッセージをくれます。

『目の前に木の葉が落ちても、その意味を知れ』

以前、所属してた教団の教祖が言った言葉です。偶然は全て必然。目にするもの、耳にするもの、全てに意味があるのですね。

平成から令和への変わり目、神様もこんな印象に残りやすい日を狙ってメッセージをくれるので、見落とし聞き逃しのないようにしないとね。

令和が皆さんにとって素晴らしい時代になりますように!

 

『言霊食結び』始動!

ドラフト会議があった日なので十月二十五日の事です。昼頃に部屋の掃除をした後、コーヒーを飲んでた時にふと思ったのですが、「ア」から「ン」までの五十音で始まる食べ物を全部食べられるかなと。

ア=あんまん
イ=イカ焼き
ウ=鰻巻き
エ=えんどうご飯
オ=オムライス

ア行は何とかなりそう。でもナ行なんかは、うーん。

ナ=なめ茸
ニ=人参のグラッセ
ヌ=???
ネ=???
ノ=海苔巻き

簡単には思いつきません。

でも挑戦してみようかな?

 

五十音で始まる食べ物を食す!

題して『言霊食結び』! 

 

でも、最後の「ヲ・ン」をどうするか?

「ヲ・ン」は無いので抜きます。

ガ行~パ行はどうするか?

餃子とかピロシキとかあるので、いけそうなので入れる事にします。でも、「ヂ・ヅ」は「ジ・ズ」と被るので抜きます。

「ヲ・ン」を抜いた「アからワまで」の44食と「ヂ・ヅ」を抜いた「ガからポまで」の23食で、全67食。

期間は来年の旧正月(二月五日)から大晦日(一月二十四日)までの一年間。・・・なんか十日ぐらい短いような。でも、間違ってないですよね。五日に一つ食べれば達成出来ます。けっこうキツいかも。まあいいです。頑張ります。

五十音の順番までこだわると大変なので、順番はバラバラで良しとします。

出来るだけ珍しい料理や地域の名物料理を食していきたいな。外食と言えば、ファミレスで日替わりランチが多かったけど、来年はもっと自由に動けると思うので、いっぱい色んな料理を食べたいと思います!

 

追記:一年ではやっぱりムリなので十年にします。